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オランダで奮闘するファン・ウェルメスケルケン・際(SCカンブール) インタビュー「Vol.1 ルーツを辿って」

高校を卒業後にJリーグを経ないでエールディヴィジ(オランダ1部リーグ)でプロデビュー。オランダでの活躍が目に留まり、2016年にはリオ五輪を目指すU-23日本代表にも選らばれた。そんなファン・ウェルメスケルケン・際さんに自身のルーツと現在について詳しく聞かせてもらった。

Icon 16466945 810048175800857 1247399717 n 菊池 康平 | 2018/06/19
 わざわざオランダのレーワルデンまで来て頂きありがとうございます!   

―― いえいえ、午前中は練習お疲れ様でした。レーワルデンは、のどかで本当に良い街ですね。気持ちがいい天気なのでスタジアムの席でインタビューさせて頂きますね。   

まずは日本時代の話をしましょうか。生まれはオランダで、2歳の時に日本に来て、山梨でサッカーを始めましたよね。サッカーを始めたきっかけを教えてください。   

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 小学校に入学して、同級生の友達がサッカーに誘ってくれました。なぜかわからないんですけど、僕は一年間断り続けていたんです。それでも誘ってくれたので、根負けして行ってみたら、予想以上にハマってしまったんです。   

小学校2年生で始めて、半年くらいでもっと高いレベルでやりたいということで、ヴァンフォーレ八ヶ岳というクラブに移籍をして本格的にサッカー人生がスタートしました。   

―― 1番初めに履いたスパイクは覚えていますか?   

 たぶんアディダスのスパイクだったと思います。本当にシンプルな白黒のスパイクでした。足に合うスパイクを選んで買ってもらった記憶があります。   

―― 中学はヴァンフォーレ甲府のジュニアユースですよね。   

 そうですね。   

―― その時は何を履いてましたか?   

 その時は、アシックスのDSライトをずっと履いていました。ちょくちょくプーマとかナイキにもいきましたけど、結局DSライトで落ち着いていました。   

―― スパイク選びのこだわりはありましたか?DSライトを選んだ理由は?   

 始めの方はプーマやナイキを試していましたが、どうしても足に合わなくて、新たに試したDSライトが軽くて、僕のプレーの特徴のスピードが活かせるスパイクだったんです。   

―― 軽ければ軽い方が良いですか?   

 そうですね。ウィングのポジションをやっていたので軽さを求めてました。 

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―― 高校はヴァンフォーレ甲府のユースじゃないですか。その時のスパイクは? 

 基本はDSライトを履いていましたが、ナイキのヴェイパーやアディダスのF50も履いていました。   

―― F50は軽かったんでしたっけ?   

 F50は軽くて、革も使っていれば伸びて足に馴染んでくるので使っていました。   

―― 革は天然皮革の方が好きですか?   

 そうですね。DSライトもそうですけど。どっちかというと革が伸びて足にフィットしてくる方が良いです。革の柔らかさにはこだわりがあります。   

―― アシックスを履いて、ナイキやアディダスなども履いていた理由は?   

 メーカー関係なく、軽いモデルにどんどんチャレンジしていくような感じでした。   

―― ヴァンフォーレのジュニアユースとユースの練習には長時間かけて家から通っていたんですよね?   

 清里から甲府までなので2時間ぐらいかけて通っていました。   

―― 勉強も出来て文武両道の模範のような生徒だったんですか?   

 そうですね(笑)小学校から文武両道できましたし、親のお蔭で当たり前になっていたので、高校までずっと文武両道でした。   

―― 私の周りにはサッカーだけして授業中は寝ている友達とか多かったんですが・・・   

 中・高と県内の中では進学校(山梨県北社市立甲陵高等学校)だったので、ちゃんと勉強しないとついていけない部分と、高校では毎週土曜日にテストがあったんです。必然的に勉強しないといけない環境ではありましたね。 

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―― ヴァンフォーレのユース時代にトップチームの練習にも参加していましたよね。トップチームに上がれそうだったんですか?   

 上がれるか上がれないかみたいな感じではありましたね。   

―― トップに上がれる可能性や大学進学も考えていたけど、オランダを選んだんですね?   

 そうですね。やっぱり文武両道でこれまできていたので、大学へ進学して勉強とサッカーを両方することを始めは考えていたんです。   

勉強しているうちにやっぱり、オランダに挑戦したいという気持ちがドンドン増してきて。この歳で行かなかったら、一生挑戦しないだろうなという気持ちがドンドン芽生えて来たんです。   

もちろん親にも話しましたし、そこに関しては、両親ともに海外での経験があるので。父の場合は日本に来て生活をしているので(父はオランダ人)

高校を卒業した年に海外に行って、生活していくのはそんなに甘くはないよという部分を、ちゃんと教えてくれました。   

「その覚悟があるならサポートするから頑張ってきな」と言われ背中を押してもらってオランダに向かったんです。  

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―― 以前に2週間くらいオランダに行ったことがあるんですよね?   

 そうです。小学校を卒業して、中学校に入るまでの間の春休みの時に行きました。   

―― 2週間に渡りオランダでサッカー留学みたいな感じですか?   

 いや、完全に生まれた母国を知ろうという事で行きました。   

―― 自分のルーツを知ろうということですね。   

 そうです。2歳で日本に来ていたので、自分が生まれた場所がわからない。でも自分の中にルーツは有るんです。

大人になるための一歩を踏み出す中学生になる段階で、いったんルーツを知っておこうということで親がその機会を設けてくれました。   


オランダに着いたら、なぜか僕はサッカーをしたいと言い出しました。それでお爺ちゃんとおじが協力してチームを探してくれて、結局、2週間練習に参加しました。

Vol.2へ続く

写真:菊池康平