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3×3で東京五輪へ。39歳で現役復帰を決意した元日本代表・渡邉拓馬の覚悟Vol.1〜バスケ界のより良い未来を築くために〜

3人制バスケットボール「3x3」のプロリーグ『3x3.EXE PREMIER』の2018年シーズンが6月9日、いよいよ開幕する。この競技は2020年に開催される東京五輪の新種目にも採用されており、より一層注目度が高まっているスポーツのひとつだ。本番まであと2年と迫っている中、39歳で大舞台への挑戦を表明している選手がいる。かつて日本代表としても活躍した名シューター、渡邉拓馬だ。2015-2016シーズンを最後にユニホームを脱いでいたが、再びコートに戻ることを決め、現在はリーグ開幕に向けコンディションを整えている。今年で40歳を迎える中、なぜ復帰を決意したのか。そして15年プレーした5人制ではなく、なぜ3人制を第2の競技人生に選んだのだろうか。今回は、現役から退いた理由と引退後の活動について伺った。

Icon 1482131451808 佐藤 主祥 | 2018/06/08
ーまず、渡邉さんのバスケットを始めるきっかけを教えてください。

渡邉:もともと両親がバスケをやっていたことがきっかけとしてありました。僕の出身が福島県なんですけど、両親共に地元の実業団でプレーしていて、引退後もミニバスのコーチをしていたんです。

2人の姉もバスケをしていて、2番目の姉は全国タイトルを全国高校女子最多の計62回獲得している名古屋の名門・桜花学園に入って、自身も全国制覇を経験しています。その後も愛知学泉大学という強豪に進学すると、福岡ユニバーシアード女子日本代表として銅メダルに輝きました。

1番上の姉も高校までバスケをやっていたので、まさに“バスケ一家”で育ちましたね。その影響もあり、家族に体育館に連れて行ってもらって、バスケットボールに触れてからはもうその魅力に取り憑かれたというか(笑)

その後もバスケをやめようとは思わなかったですし、それ以外の道を歩もうと考えることも全くありませんでした。

ー小さい頃からバスケ漬けの生活を送ってきたんですね。学生時代もバスケで一筋で?

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渡邉:はい。高校は地元の福島工業に入学して、バスケの練習に明け暮れていました。

高校3年時のウィンターカップでは決勝まで進んだんですけど、そこで対戦した高校が、当時高校1年生の田臥勇太(現・リンク栃木ブレックス)擁する能代工業(秋田県)だったんです(笑)

その試合では最高のパフォーマンスを発揮することができたので、当時のバスケ界を知っている人には「あの決勝戦はすごかったね!」って、今でも言われます。

ー渡邉さんのプレーに相当なインパクトがあったんですね。その頃にはプロを目指そうという意識はあったのでしょうか?

渡邉:現実的に考え始めたのは、大学に入ってからですね。高校時代は「ただ上手くなりたい」という思いだけでがむしゃらにやっていたので。

進学した拓殖大学では、関東大学1部リーグで4年連続で得点王を獲得することができましたし、大学バスケ最高峰の舞台であるインカレでも、3年時に準優勝することができたので、少しずつプロでもやっていける自信を持てるようになったんです。

それに加えて、同大学のOBの方も数名プロ選手として活躍されているというのもあり、プロの世界に進む道筋が自然と見えていた、ということも決め手となったひとつです。

ーなるほど。では、大学を卒業されてからはすぐにプロに?

渡邉:そうですね。トップリーグの「トヨタ自動車アルバルク(現・アルバルク東京)」に入団して、プロ生活がスタートしました。

同チームでは12年間お世話になって、2012年には「日立サンロッカーズ(現・サンロッカーズ渋谷)」に移籍。2シーズン過ごした後の2014年には、「アースフレンズ東京Z」という現在Bリーグ2部(B2)のチームに行きました。そして翌年の2015年に古巣の東京に復帰して1シーズンプレーした後、現役を引退した、という流れですね。

ー説明していただきありがとうございます!(笑)。引退したのが2016年ということは、翌シーズンにはBリーグが開幕しますよね?新リーグでプレーしたいという気持ちはなかったのでしょうか?

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渡邉:全くありませんでした(笑)。もうボールにも触りたくないくらい「バスケをやり切った」という気持ちが大きかったので。

それに、そのタイミングでアルバルク東京の上層部の方から同チームのフロント入りを打診されたので、すぐに引き受けることを決断しました。

「アルバルク東京GM補佐兼アカデミー統括」という肩書きで、セカンドキャリアをスタートさせたんです。

なんの迷いもなく次に進む道を決めることができたので、Bリーグの開幕戦を観ても特に羨ましいという感情はありませんでしたね。

ーそうでしたか。そもそも引退を決断したきっかけは何だったのでしょう?

渡邉:バスケを続けるにあたって、これ以上モチベーションが上がらなかったことが1番のきっかけですね。

若い頃なら「絶対に勝ちたい」「今年は優勝したい」「自分のプレーでファンを沸かせたい」など、選手としてはいろんな想いがありました。

ですが、そういったモチベーションが段々薄れてきて…。そんな気持ちでバスケを続けるのは絶対に嫌ですし、観にきてくださっているお客さんにも失礼ですから。

ーそういう気持ちの変化には何歳頃から感じていたのですか?

渡邉:32歳頃ですかね。トヨタアルバルク東京の時代に計6度の優勝を経験させていただいたので、そこで燃え尽きた感がありました。

厳密に言うと30歳で引退を考えていたのですが、その時はチームが低迷期に入っていたので、ここで終わるのはちょっと違うなと。

なので復帰が決まった2015年にはもう、ここで骨を埋めようと決めました。

ーチームへの想いが強いからこその決断でもあったんですね。それでは、アルバルク東京のフロントに入った後の活動内容を教えていただけますか?

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渡邉:はい。まず活動として主に心がけているのが、「現場とフロントのパイプ役になること」です。

というのも、社長含めチームのフロント側の人たちは、バスケを知らない人が多かったんですね。なので選手の気持ちを共有したり、試合内容やコート上(体育館内)の温度など、バスケに関するあらゆる情報を伝える必要がありました。

そうしないと、来シーズンの年俸や契約をするかどうかの決定など、全て試合の結果や数字だけを見て判断してしまっていたんです。

たとえ試合に出ていなくても、チームに貢献している選手はたくさんいます。

チームというのは、4番バッターだけが揃っていても勝てません。裏でサポートしてくれている選手がいるからこそ、結束力が高く強いチームへと成長していくんです。

なので、それをフロント側に伝えていくことをメインに活動をはじめました。

ー特に企業スポーツでは、上層部が現場を知らないことは往々にしてありますよね。

渡邉:そうなんです。僕自身、選手に対する評価の仕方には現役中から疑問を感じていたので、今後のバスケ界のことを考えたら、そこはすぐにでも改善すべきだと。

ですが、今はもう心配ありません。

新設されたBリーグは、これまでの会社に属しながら選手としてプレーする企業スポーツではなく、れっきとしたプロリーグ。チーム体制も変わり、今では現場の気持ちを知ろうと選手とコミュニケーションを取ってくれる方たちばかりです。

上層部の方も、バスケの専門的な知識を吸収しようと努力してくれているので、僕はその手助けをしています。

プロリーグに参入したことで、選手は競技に集中できるようになり、観客数も順調に増えてきた。この状態を続け、スポーツとしての魅力を世の中にもっと浸透していくことができれば、バスケの未来は明るいんじゃないかと思いますね。


<インタビューVol.3はこちら>


文・写真/佐藤主祥

取材協力/アルバルク東京、立川ダイス


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