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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.43 「とうとう生産終了のパラメヒコ編」

キングギアが始まった頃、満面の笑みでパラメヒコをたずさえ、その魅力を語った播戸選手のインタビューはスパイク愛に溢れ、パラメヒコのよさをこれ以上ないぐらい伝えてくれる内容でした。しかし、播戸選手も現役を引退し、とうとうパラメヒコも生産終了だそうです。そのデビュー時も覚えているスパイクファンが、惜別としてパラメヒコについて書かせていただきます。

Icon 29634314 1815368455432881 1085668874 o 小西博昭 | 2020/05/25
播戸選手のインタビューはこちら
パラメヒコは1985年のメキシコワールドカップアジア最終予選の日韓戦でデビューしたことはこちらで紹介しました。その後、国内のトップレベルの選手には支給され始めたようですが、しばらくは市販されなかったと思います。 

私が調べた限りでは、サッカーマガジンの86年6月号(図1)に初めて広告が載り、市販が開始されたようです(違っていたらすいません)。 ちなみに取替式のメキシコライトはその半年後ぐらいに広告が載り始めました(いずれもプーマの広告ではなく、サッカーショップの広告に小さく載っていました)Thumb efbc92   
図1 パラメヒコの市販広告(挿入画像)が初めて載った号の表紙は本大会を控えてナポリと練習試合をした神でした。その号をパラパラめくっていると、他の選手の特集の写真中に、一緒にトレーニングをしているゴン中山選手(当時筑波大学1年生)が載っており、すでにパラメヒコをご使用でした。   

ちょうど86年本大会直前でしたが、まだワールドカップが夢のまた夢ぐらいの存在だった日本では、サッカー自体がマイナーで、パラメヒコのデビューも知る人ぞ知る感じだったと思います。 

当時、西ドイツ製スパイクしか興味がなかった大学生の私には、日本製パラメヒコにそれほど魅力は感じませんでしたが、あの日韓戦モデルがとうとう発売されたかという記憶はあります。   

それから約35年、最近は黒に白ライン(レフリー御用達?)しか販売されていませんでしたが、これまでさまざまなバージョンが制作・販売されてきました。   

にわかビンテージスパイクファンの私にはシリーズの全容はまったく語れませんが、パラメヒコのことならこちらの方が一番お詳しいと思います。 サッカーショップにも勤務されていたそうなので、近年のカラーバリエーションなどの知識はおどろくほど豊富で、コレクションは永久保存の価値があると思います。
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図2 見事なインスタ映え画像です。歴代のパラメヒコとそのカラーバージョンです。 スフィーダメキシコライトも含まれています。   

私は近年のパラメヒコの細かいことを語ることはできませんが、デビュー時から知るスパイクファンとしての「うんちく」を書きたいと思います。   

まず、大学生時代はまだ無名だった中山選手が、後に夢のまた夢だったW杯出場を叶えてくれ、日本のW杯初ゴールをゲットしたモデルです(図3)。
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図3 パラメヒコデュエ(もちろんただの市販品です)。
アッパーの色がパープルっぽいモデル中山選手の日韓W杯使用モデルだったと思いますが、ステッチ好きの中山選手用に、どちらのデュエも縫い目がノーマルより細かくなっていたようです。

中山選手のリクエストで作られたポイントの高い固定式モデルとよく語られています。 確かにそういういきさつでできたモデルなのでしょうが、古いスパイクファンからすると、デュエのソールは、かつてマラドーナシリーズでも使われていた懐かしい固定式ソールの色違いです(図4)。
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図4 パラメヒコデュエのソールに似た80年代のモデルとジャスパー   

中山選手は高校選手権ではアディダスのイベリカ(フランス製)を履き最近の新製品トークショーでもパラメヒコデビューの頃に発売されたジャスパーというモデル(図4右下)について語られていました(かかとの白い部分に日の丸が入っていました)。   

中山選手はサッカーどころ藤枝市で育ち、きっとそうとう豊富なスパイクの知識をお持ちで、プーマの歴代モデルもよくご存知だったので、昔あった固定式の長めのスタッドパターンをリクエストされたのではないかと勝手に想像しています。   

ちなみにノーマル(12本スタッドの白一色固定式ソール)のパラメヒコがW杯で初めて使用されたのは、94年アメリカ大会で韓国の盧廷潤選手がスペイン戦で履いていた時ではないかと思います。 もしかしたら最初で最後だったかもしれません。   

次は図5のツートンカラーのモデルですが、これも図3のデュエ同様、市販もされ、2002年W杯で元ジュビロの服部選手が使っていたと思います。
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図5 パラメヒコGCi。元札幌のホベルッチ選手のサイン入りだそうです。   

その時初めて目にされた方はパラメヒコにしては斬新なデザインに思われたかもしれませんが、これはパラメヒコデビュー前に一時期はやったプリメイロと同じデザインです。 

プリメイロは数年しか作られませんでしたが、このモデルが後の超ロングセラー・パラメヒコの原型になったと勝手に思っています。
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図6 かつてペレ選手も履いたことがあるプリメイロ   

さて、ここからはちょっと変わったパラメヒコということで、 表紙のパラメヒコは播戸選手のものですが、つま先のステッチが通常のものより多くなっています。
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図7 プーマジャパンに所蔵されている播戸選手モデル(手前)の画像ですが、となりのカズ選手モデルと比べるとステッチの違いがわかります。   

図8~11は最近手に入れたものです。
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図8 ステッチが多いGCiモデル。 サイズが27センチなので、播戸選手(25センチ)モデルではないようです。 
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図9 94年頃に他のモデルで採用されていたソールパターンのパラメヒコ 
鹿島、清水、神戸で活躍されたサントス選手のものだそうです。 ジーコ選手もこのソールのモデルを愛用されていました。 
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図10 25本スタッドモデルで、 元ジュビロの西選手のモデルカズ選手や福西選手もこのソールのモデルを愛用されていました。 アッパーが白いのは珍しいかもしれません。
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図11 服部選手の2000年ぐらいのモデル。 ソールがその当時新登場したパターンです。 ステッチも播戸選手モデル同様、多く入っています。   

生産終了してしまいましたが、大手スポーツ店が限定発売していたりしますので、細々でも構わないので、生産ラインだけでも存続して欲しいものです。 ソール交換もしていただける手厚いサービスもぜひ継続を願うばかりです。   

生産継続への希望のひとつとして、プロ選手でもまだ使用されている方はおられるようです。
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図12 いまや日本の名工とも言える京都サンガホペイロ・松浦さんのブログの写真です。 多分、金久保選手25本スタッド、石櫃選手(GCiスタッド)はパラメヒコをお使いだと思います。   

今後も末永くパラメヒコを履いて活躍してほしいと切に願います。   

最後は同じ京都サンガ時代のキング・カズ選手ですが、やはりこの方が日本サッカー界におけるスパイク文化に与えた影響は計り知れないと思います。
 Thumb 4efbc91 図13 パラメヒコの特別バージョンもレアですが、特にこの時代のスパイクは今考えるとかなりの珍品ではないかと思います。 市販のスフィーダですら今ではそれなりにレアだと思いますが、さらにそれのレアソールバージョンをご使用でした。   

昔と違って、ネット通販やオークションでさまざまなものが世界中から買える時代ですので、絶版になってしまったパラメヒコもしばらくは手に入ると思いますが、マイサイズについては購入しておきたいと思います。 

ただ、復刻でもよいので10年後、20年後にも再販されることを願ってやみません。


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神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。  
                  


◆小西博昭オフィシャルブログ
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